雑記

身のまわりの雑多録。主に古いものと旅の記録、時々日常の話。

祖父の陣中日誌

写真:祖父の陣中日誌


「陣中日誌」というものをご存知だろうか。

 

本来は「戦地の日誌」と定義されているものの、私の祖父が残した陣中日誌は「戦地から帰国し、召集解除されるまでの日誌」だった。
ずーっとやろうと思っていた日誌の文字起こしをようやく終えたので、問題の無さそうな範囲で残しておこうと思う。

 

祖父の陣中日誌について

書かれている期間は1939年12月14日(昭和14年)から翌1940年1月24日(昭和15年)までのわずか約1ヶ月間のみ。ちょうどノモンハン事変に伴い満州に徴兵された時(から、家に戻るまで)の日誌だ。
何故その期間しか書かなかったのかは、謎。
面倒だったのか、書いていたけれど無くしてしまったのか、帰路になって急に書く気になったのか……。
ちなみに先に書いておくと、祖父自身は約10年前に亡くなるまではすこぶる元気(で、孫の私とスーファミや64で対戦をするような祖父)だったので暗い展開はありません。ご心配なく…。

 

と、前置きが長くなってしまったが、以下、書き起こしたテキストです。
ちなみに手書き&旧字体が多いため、一部判読できていない箇所もあり。(*)の箇所は判読できなかったもの、(?)の箇所は自信が無い箇所で、親族の名前の部分は○○と伏字にしている。
(もし、これじゃない? と分かる方がいらっしゃれば、コメントいただけると幸いです)

 

陣中日誌

 

昭和14年12月

14日 木曜 晴

大連商業中
慰問袋を受く
衛兵につきたるも明日旅順行のため交たいす。天好天好
久々に味はいたるチーズに内地を思ひ浮ぶ
裏山に登り市中を行軍して帰る

 

15日 金曜 晴

延々四十八(将?)の(*)大道路をドライブ旅順見学に行く
先輩の悪戦苦闘せう地を見新なる感激に打たる
今日は露軍智将コンドラテンコ小将の戦死せる日

 

16日 土曜 晴

午後裏山に登り満人街を歩く
五十分間自由行動
支那芝居で西遊記をやつていた
満人街はどこでも同じだ
夜国婦の主さいで極楽㑹がある
一時閉㑹

 

17日 日曜 晴

午後全員呼集
チエンストアストリートの前で解散
(*)連通の幾久屋で黒ダイヤを買ふ
ニュータイガー
PERROQUETUダンスホールへ行く
半日を愉快にすごした

 

18日 月曜 晴

今日は食事

夕食後(*)鎧街へ一寸行く
十二時迄眠れず

 

19日 火曜 晴

午後京亜煙草㑹社を見学に行く
サエの繁速さに驚かされた
一時間自由行動
ドミノ等でお茶を飲む

 

20日 水曜 晴

荷物の整理等をし一日が終る

 

21日 木曜 晴

外出の豫定なりしも外出なし

 

22日 金曜 晴

午後から外出
ドミノマルキタ(**)で御茶
福(*)で壽しを食ふ
トラムプを買ふ
し(*)を買ふ
豊島(*)隊で脱柵、不時点呼あり

 

23日 土曜 晴

いよいよ明日出発に決る
まだ少し居たい様に思はれる
明日は早いので寝る

 

24日 日曜 晴

起床四時出発の準備をする
萬事よくはこぶ。
八時半出発徒歩行軍で埠頭に至る
大連の街がなごり残しい。
午後乗船。大変なこんざつなり、
四千人との事
水平線に日の沈むのを見る

 

25日 月曜 晴

昨日は不寝悉だつたので馬鹿にねむい。体操。五分間
師走とひふのに船内は非常な暑さだ。早く此船路が終ればいい

 

26日 火曜 晴

左航に朝鮮半島を見る
三笠丸に十時頃追越さる
今日は熱が有って寒けがする

 

27日 水曜 雨曇

今朝門司着
内地に来ると早速雨に見舞れた。
午前中検仮。
午後(*)恫宇品に向ふ

 

28日 木曜 曇

今朝宇品着
午後より検(渡?)を行ひ夜終る
フオルマリンで目がいたい
二度と比ダなへ来るもんじやない

 

29日 金曜

五時三十分起床
七時百合丸はアンカーを上げ宇品港に向ふ
八時より陸揚開始、十一時頃陸上第一歩をふむ
廣島駅附近で中食の後四時(*)東京に向ふ。
山九時頃通過
大阪あたり迄覺えて居たが後は・・・

 

30日 土曜 晴

名古屋の少々前で目をさます
六時五分名古屋着
日の出だ。満州より一時間早い
朝食をすます
十時大井川を渡る
富士山がよく見える
夜聯隊に入る
十時半就寝

 

31日 日曜 

聯隊はどんどん復員して居る
戦用品を返納する
ぼろ服を受領する
夜明けの式にでるぼろ服を受領す、これもぼろ服也
俺達もすぐ(*)郷できる

 

昭和15年1月

1日 月曜 

逢(*)式を行ふ
今月中には解除になる
外出なし
酒保等へ行つて百を(*)す

 

2日 火曜 晴

九時頃より外出家に行く
○○さん○○君等に㑹ふ
銀座で御茶を飲んで居て遅れそうになつたので
円タク(?)で聯隊に入る

 

3日 水曜 

朝がばかにつらい
一日だらだらと終る

 

4日 木曜

(**奉*)式ニ參列
午後から五中隊に編入さる
四班だ
解除(通?)し
午前中に慰問袋を受く○○さんより
※1行目の不明箇所、1文字目は「束偏+?」、2文字目は「言偏+?」、4文字目は「善?+賣?」

 

5日 金曜 晴

外出
オリムピツクで朝食
十時半頃家へつく
○○家訪問再び家へ帰る
ニ時頃、家を出
銀座へ行く
ダツトへ半年ぶりで行き五時聯隊に入る

 

6日 土曜 

解除十七日
午前中遊び
午後から五中隊に居候になる

 

7日 日曜

酒保や食(*)で一日を暮す
火災招集あり
夜娯樂㑹あり
相不変一人よがりの連続で面白くない

 

8日 月曜

觀兵式
午後外出。
柏附近を散歩

 

9日 火曜

精心訓(*)
銃剣術
石井曹長に竹刀でなぐられた
午後は山田中尉殿の學校

 

10日 水曜

聯隊に於ける最後の徴兵につく
寒くてまいつた風強し

 

11日 木曜 

午前農場開墾
午後は練兵場で書

 

12日 金曜

午前中山田中尉殿指揮で(**掘?)をする
午後完成
晩除隊君の送別㑹
自分等も十七日には送られる身

 

13日 土曜 晴

福島松ト津田吉田石井芝等
招集解除になつた。見送をす
午後(**)班の掃事をする
(**)がすの解除も迫る。
(**)年兵の出発(**)を(*)やる

 

14日 日曜 晴

最後の外出をする
家へ歸つて服の相談をする
銀座で堀内(**)に㑹ひ手袋を買ふ
紫(*)荘でお茶を飲む
五時聯隊に入る

 

15日 月曜 晴

(**)解除になる。
要(*)初年兵出(*)
小(*)等も後三晩で解除
擬似(*)セン(*)発生、隔離さる
夕食八時頃

 

16日 火曜 晴

今夜一晩で命令が出る
本当は今日解除だつたそうだ
七時半夕食
早く寝る

 

17日 水曜 晴

兵器の分配
午前午後
L
S
早く寝る

 

18日 木曜 

午前中演習
久しぶりに聽音機をかついだ演習も之で終りだらう
午後は手入
夕方菓子を食いすぎた

 

19日 金曜

被服返納
解除準備進む
夕方慰問袋がとどく
防疫規定
解除になる

 

20日 土曜 晴

(**)班がへを行ふ。ボリビヤ武官見學に来る
目標柱に登つた
母参官の伯母さんが面㑹に来る
服を持つて来てもらう
解除のねを待つばかり

 

21日 日曜 晴

外出。名倉小川田中朝君と銀座へ行き映画を見フロリダで食事
ダツト御茶房・門・ボタン等でお茶をのみ
五時聯隊に入る

 

22日 月曜 晴

午前中待期㑹報ラツパを待つ
大隊長中隊長殿に申告を終る
㑹報ラツパなる
待ちに待つた命令出る送別㑹

 

23日 火曜 

九時召集解除
二度と来ない
松屋で九一㑹を開く
夜名倉場田小峰菅田稲垣古川岩タて氏等と銀座スエヒロで食事をす

 

24日 水曜

一日家に居り
夜親族(?)と㑹食


《日誌はここまで》

 

(後記)

ちょっとぶっきらぼうで、でもきっちり毎日真面目に書き、合間合間に素直な感情が書かれている文章は、まさに祖父そのものだった。

祖父からはいわゆる「戦争のはなし」を子供の頃によく聞いていた気がするのに、覚えているのは「何度も船が転覆したけど何度も助かった話(すごい)」と「夜中に大きな大きな流れ星が現れて空一面が急に明るくなった話」くらい。実は祖父が当時どこに行って、どういった足跡をたどったのかは全然分かっていなかったし、聞くチャンスはたくさんあったのに逃したまま祖父は亡くなってしまった。

ある程度時間が経ち、後悔していたところ「戦場体験放映保存の会」主催のイベントに出会ったのが、今回文字起こしをちゃんとやろうと思ったきかっけだった。
主催の方々に陣中日誌やその他残っていたものを見ていただいたところ、祖父の足跡が段々とハッキリしてきて、ぼんやりと「戦争に行った祖父」でしかなかった記憶がより鮮明に、一人の人としてあの時代の中をどう生きていたのかがつかめた感覚があり、さらにハッキリさせるため今回日誌の書き起こしを行った。
調査にご協力いただいた会の方には改めて感謝申し上げます。